プロフィール

紫乃~murasakino~のブログ「あなたも 私も アーティスト」へようこそ|プロフィール

  1. 「あなたも 私も アーティスト」へようこそ!
  2. このブログを書いているArtist紫乃~murasakino~とは・・・?
    1. 何をやっても中途半端な自分をコンプレックスに感じていた私が  ある日突然絵を描き始め42歳で画家デビュー
      1. 何気なく付けたNHKの番組で・・・
      2. 最初にわたしの才能を発見したのは母
      3. ビジュツニクワシソウナヒトの目に留まる
      4. 100枚の絵を見てもらう
      5. 思いもかけない展開へ
    2. レストランで初の展示
    3. アジアで初のノーベル平和賞を受賞した タゴールの詩集「ギタンジャリ」の装画に抜擢!
    4. 宿泊施設「入鹿の里 MUSICA」にて常設展示
    5. 南医療生協にて展示
    6. 自分で動かなくては!カフェ&ギャラリー了庵にて初の個展
    7. 豊田市民芸の森にて個展予定
  3. どんな絵を描いてるの???
      1. 無心の状態であるときに流れてくる何かを色に変換
  4. Artist紫乃~murasakino~になるまでの経歴
    1. 二十歳で初めて海外一人旅にバックパック一つで旅立つ
    2. 神戸の有名ホテルに就職
    3. 陶芸との出会い|ホテルを退職し愛知県立窯業高等技術専門校へ
    4. 窯元へ就職する
    5. 陶芸の道を離れOLへ
    6. 理想の土地に出会いひとめぼれ|田舎へ一人移住し木の家を手作り
    7. 日本の山を守りたい|木の家作りを仕事に
    8. 社長が脳卒中で倒れ半身麻痺に
    9. 好きなことを仕事にしたい
  5. 大好きな花屋を辞めArtistとして独立へ
  6. 自分の使命を全うする人生を!

「あなたも 私も アーティスト」へようこそ!

 

はじめまして

このブログを書いている
Artistの紫乃~murasakino~と申します。

紫乃は ”SHI-NO” と呼んでくださいね。

実は、~murasakino~
フリガナではないのです。
この辺のなぞはそのうちに・・・

 

当ブログでは

  • 本当の自分の見つけ方
  • 好きなことで生きていくこと
  • 画家になるまでの私の人生
  • 独学の画家として生きていくこと
  • セルフビルドで建てた山小屋と田舎暮らし

など書いていきたいと思います。

  • 何かを始めたいがやりたいことがわからない方
  • 常識に縛られたくない方
  • 本当の自分を見つけてみたい方
  • 独学で画家として生きていきたい方
  • 動きたいのになんとなくやる気が出ない方

 

などが読んでくださると
やり場のない思いが癒されてたり

いろいろなことに挑戦する
エネルギーが湧いてきたりすると
思います。

平凡な私が自分を発見し
アーティストになったように

あなたのなかにも埋もれている
アーティストの種を発芽させて
後悔のない人生を歩んでもらうお手伝いが
出来たら嬉しいです。

このブログを書いているArtist紫乃~murasakino~とは・・・?

絵画 生花 建築 陶芸 写真
などを使って本当の自分を表現しようと
もがくArtistの端くれです。

何をやっても中途半端な自分をコンプレックスに感じていた私が  ある日突然絵を描き始め42歳で画家デビュー

 

何気なく付けたNHKの番組で・・・

とある休日

何気なくNHKをみていると
絵本作家の荒井良二さん
「絵本じゃあにい」と題した番組で

”蛇腹絵本を作ろう!”という内容を
やっていました。

横に長い画用紙を蛇腹状に折り曲げ
場面ごとに筆を使わず自由に色を
塗りつけます。

具体的なモノは何も描かず
感覚だけで筆を使わず指など
画面全体塗りつぶしていく感じです。

ストーリーから考えて
それに合わせて絵を描く
という当たり前のやり方ではなく

画面の色のイメージから
物語を考えることによって
普段では思いもよらない
お話ができる

という発想自体が
興味深かったのですが

わたしにとっては
生徒役の方がなにものにも捕らわれず

感覚だけで自由に描いた絵が
あまりにも素敵で感動したのです!

「絵って何か目に見えているもの
技法を使って論理的に描くだけではなく
感覚で描く!ってこともあるんだ」

「わたしもやってみたい!」

とその日のお出かけのついでに
アクリル絵の具とスケッチブックを
購入してきました。

最初にわたしの才能を発見したのは母

早速 Art spiralという
横18.5㎝×縦14.2㎝のスケッチブックを
一枚ビリット破り

適当に何色か買ってきた
アクリル絵の具を
心のおもむくままに指や
段ボールの切れ端なんかを使い
描いていきました。

とっても楽しくてあっという間に
4~5枚ほど完成しました。

(上記の写真は処女作品:非売品)

 

テレビで見た生徒さんの作品とは
まるきり違っていましたが
なかなかの出来栄えだな~
自画自賛していました(笑)。

しかし、自分では満足しているけどはて
他の人はこの抽象的なわけの
わからない絵をどう感じるんだろう・・・

という疑問が浮かびました。

 

試しに隣の家に暮らす母に見せると

「なかなかいいんじゃない。
お母さん好きだな。なんか
うちのまわりの朝の景色みたい・・・」

好反応でした。

そしてその後この絵は第1号のファンである
母にプレゼントしました。

そして冗談のつもりで
誰か他の人が欲しい!って
言ったらどうする?と聞くと

「もちろんあげないよ!」

一万円で欲しい!って言われたら?」

首を横に振ります。

 

「10万円!」

 

「ううん」

 

「えー!じゃあ100万円!

 

まだ首を横に振ります。

 

「200万円!!!」

 

「ちょっと考えようかな???」
「でもこの絵はこの世にたった一枚しか
ないものだからいくらでも渡さない」と

いうのです。

 

それで自信を得た私は
毎日、毎日、何枚も何枚も
描いていきました。

しかし、父に見せると

「これは一体何が言いたいんだ。
題名はなんだ」

と理解できない様子でした。

 

そこでこの絵は

“わかる人と わからない人がいる”

と悟りその後は

ワカリソウナヒトのみに見せ

ワカラナソウナヒト と

ビジュツニクワシソウナヒト

の目には決して触れさせないようにし
自己満足の中で絵を描いては
額に入れて飾って喜んでいました。

ビジュツニクワシソウナヒトの目に留まる

後ほど詳しいことは書きますが
一時期 脳卒中の麻痺の方に復活する
方法を伝える教室をお手伝いしていた
ことがありました。

その教室の案内代わり
額に入れた私の絵入り口
飾らせてもらってました。

そこには生まれてすぐに
脳出血を起こし立つことも歩くことも
普通に話すこともできない二十歳の青年が
通っていました。

ある日彼が絵を描きたいからと
スケッチブックと色鉛筆を持参して
絵を描きだしました。

ちょうど二歳児が描くような感じ
色鉛筆を握り込み
左右ににぐちゃぐちゃとしたり
ぐるぐると螺旋状にえがいたりして
遊んでいました。

その日たまたま知り合いの美術に造詣の深い
デザイナーの方が教室の見学に
いらしていました。

その方は
下手に具体的な絵を教えるよりも
今の素直な感覚で自由に描く絵の方が
よっぽどいい。とおっしゃいました。

すると教室の先生は

あなたもそういう絵を描いてるじゃないか
見せてみたら

と私に促したのです。

私はビジュツニクワシソウナヒトには
絶対に見せないでおこう
心に決めていたのですが

その場の雰囲気で渋々拙い絵
お見せすることになったのです。

 

するとそのデザイナーの方は

「いいセンスしているよ。他にもあるなら
今度見せてごらん

耳を疑うようなこと
おっしゃったのです。

100枚の絵を見てもらう

それまで描いた作品は
何百枚にも及んでいました。

ですからその中で気に入ったものを選別し
アルバムに収めていたのですが
20枚つづりのアルバムは
5冊に及んでいました。

その選び抜かれた?!
合計100枚をひっさげ
いざ待ち合わせの喫茶店へ・・・

 

こんなにたくさんを作品を見せ
さぞ驚かれたでしょうが
デザイナーの方は丁寧に
一枚一枚見てくださいました。

 

何と評価されるのかと固唾をのんでいると

 

「なかなかいいものを持っているよ」

「以前から何か内に秘めたエネルギーがある
とは感じていたがこんな才能があったとは・・・」

 

それまでビシュツニクワシソウナヒトには
決して見せないでおこう。
と思っていたのはどこへやら

 

「この作品何か形にできませんか!!」
と口走っていたのです。

 

それまでは自分で描いて
自己満足して楽しんでいるのが心地良く
人の批評の目にさらされることを
極度に恐れていた それなのに・・・。

「作品集にしたらどうだろう
手伝うよ!」

すぐに提案してくださいました。

思いもかけない展開へ

次の仕事の休日から
名古屋市にあるその方の事務所へ
二時間以上かけて通い
作品集作りが始まりました。

その初日
事務所が入っている建物の
1階にあるレストランのオーナーさんが
たまたま遊びにきました。

「この子絵を描いてるんだ」

と紹介され
作品をスキャンしてインデックスにしたもの
をお見せしました。

すると絵には興味なさげに見えたのですが
オーナーの口から驚くべき言葉が・・・

 

「大きな作品を描けるようになったら
うちの店に飾ったらいいわ!」

 

早速一階にあるレストランに案内され
展示場所を見せていただきました。

とても大きなガラス窓の
カギの手に当たる位置に

縦2メートル、横4メートルはある
木のブロックでデザインされた
存在感のある展示スペースでした。

その時は日展作家さんの陶器がいくつか展示
されていました。

ハガキ2枚ほどの大きさでしか
描いたことがない私は この突然の提案に
内心大変なことになったとうろたえました。

なにせ美術教育は中学校までしか受けておらず
今までの人生で”真っ白なキャンバス”
お目にかかったことすらなかったのです。

キャンバスを目の前にしたらプレッシャー
今までの自分を”無”にしてなにものにも
捕らわれずに自由に描くスタイルをキープ
できなくなるのが容易に想像できました。

デザイナーさんに相談するとベニヤでも
何でもいいんだ。と言われ心がスーッと
軽くなりました。

絵というのはキャンバスに描くものだという固定概念
に勝手に縛られていたのです。

私は以前建築の仕事をしていたので
ベニヤは身近な存在でした。

何に描いてもいいとなればこっちのもの。

建築材料の3メートルはある無垢のヒノキ
ぶ厚い板に描いたりロールスクリーン
描いたり思いつくままに描きました。

レストランで初の展示

レストランでの展示風景

大きな絵が描けた旨オーナーに連絡すると
9月の一ヶ月間の展示を提案されました。

後から伺ったのですが9月というのは
こちらのレストランのオープン月で思い
入れの強い月とのことでした。

その月に
私を抜擢してくださったのです。

納品の当日14時~17時の休憩時間帯の
展示作業にあわせ
お昼からおじゃましていました。

レストランでのランチをいただき終わると
私の目には涙が・・・

皆さんにみていただく機会を得た喜び・・・

 

ではなく

 

私の絵なんかをこんな立派なところに展示して
わざわざ誰かに見に来てもらう価値が
あるのだろうか・・・

という自分に対する無価値観でした。

 

休憩時間に入ったので、展示作業に入りました。
不慣れなためディナーが始まるギリギリまで
かかりながらようやく展示することができました。

展示が終わり事務所で休憩していると
事務所前の長い廊下の先から
タ タ ター と足音が聞こえ
ドンドンドンと誰かが扉をノックします。

そこには息を切らしたオーナーさんが立っていて

「すごい反響よ!自分の目で見にいらっしゃい!」

何がなんだかわからないまま急いで
エレベーターに乗りこみ1階まで降りました。

レストランの中に入ると私はセンセーと呼ばれ
数組いらっしゃったお客様から口々に

「素敵な絵ね~!心が落ち着くわ!」

「ここに蝶々が飛んでるみたいね」

「どうやって描いてるの??」

 

興奮気味な様子で話しかけられました。

そしてあわてて出来たばかりの
手作り感満載の名刺をお一人お一人に
手渡したのでした。

その後こちらのレストランで好評を得て
3年半に亘り内容を変えながら
展示させて頂き作品を購入して頂く機会
にも恵まれました。

アジアで初のノーベル平和賞を受賞した タゴールの詩集「ギタンジャリ」の装画に抜擢!

「ギタンジャリ」の装画

その後風媒社という出版社の編集長と
ご縁をいただきました。

デザイナーさんが編集長に私の話をして
くださっていたのです。

初めて電話でお話しした際はまだ実際には
私の絵をごらんになっていなかったのですが

「今タゴールの詩集『ギタンジャリ』
新装版に取り掛かっているんだけど
それに合いそうだな!」

 

ん? タゴール?? ギタンジャリ???

 

初めて聞く単語でしたがこれはすごいことかもしれない
と直感しわなわなと震える思いでした。

 

「ギタンジャリ」は無事完成し続いて

「初期被曝の衝撃」

「Chouchou」

計三冊の装画に採用していただきました。

宿泊施設「入鹿の里 MUSICA」にて常設展示

宿泊するお部屋の前の廊下の左右に
13点程常設展示しています。

お客さまだけでなくスタッフさんからも
絵を眺めていると心が落ち着く
評判がいいです!

南医療生協にて展示

名古屋に先進的な地域医療に取り組む
南医療生協という病院がありそこに
よってって横丁という地域の方が集う
施設が併設されております。

私の絵が少しでも患者さんや地域の方を
癒すことができれば・・・と2017年5月
一ヶ月程展示させていただきました。

自分で動かなくては!カフェ&ギャラリー了庵にて初の個展

個展の風景

これまで消極的な私でもまわりの方に支えられ
あれよあれよといろいろなお話しをいただき
不思議なほどにうまく回っていました。

しかし、いつまでもそんなことが続く訳は
ありません。

何をやってもだいたい
最初はうまくいってしまうタイプの私は
うまくいかなくなった時にそれ以上前に
進むことができず他の新しいことに飛びつき
一つのことを極めることができずにいました。

よくあなたは何でもできるのね!と言われていたのですが
内心は何一つまともにできない・・・
コンプレックスを抱えていました。

そしてただ待つだけの姿勢だった私に
次のお話はやってきませんでした。

 

そこで何とか打開しなくては・・・
と思うのですがなかなか一歩踏み出すことができません
そうこうしているうちに一年が過ぎてしまいました。

 

アーティストの先輩夫婦からは
絵で生きていきたいなら
展示会をひらいた方がいい

と何度も促されたのですが

自信がないし~

時間もないし~

そもそも私なんかに場所を貸してもらえない
かもしれないし~

やっても売れないかもしれないし~

 

グダグダ、ぶつぶつ、うじうじしていたのです。

 

しかし何度も何度も先輩に背中を押され
失敗してもいいからやるだけやってみよう!
と腹をくくり翌年個展にこぎつけたのです。

 

そもそも失敗てなんでしょう?

 

個展を開いても誰も見に来てくれない?
→先輩は絶対見に行くと言っているのに?

誰にも興味を示されない??
→レストランでも喜ばれていたのに?

こんなレベルの絵でよく個展をやっていると言われる???
→よっぽどそんな人はいないでしょう・・・

一つも作品が売れない????
→恥をかきたくなかった??

 

駆け出しのアーティストに失うものなどないはずです。

 

それなのに
をあんなに恐れていたのでしょう・・・

 

個展を実際経験して
なーんだこんなことだったんだ
もっと早くやればよかった
とちょっぴり後悔したのでした。

崖から飛び降りるような心境
おぼれるかもしれないと覚悟をもって飛んで
立ってみたら膝下くらいしか水がなかった
感じです。

了庵での個展ではたくさんの方が足を運んでくださり
私の絵を喜んでくれて
思っていた以上に作品を気に入って購入して
いただきました。

こんな私にもファンだという気持ちを持って
くださる方がいるとわかりましたし
私と会っただけで興奮してお話ししてくださる方
いらっしゃいました。

 

お客様の声

 

また、作品集ができたら是非欲しい。
(一番最初に取り掛かった作品集はまだ
完成してないのです)

大きな作品をいつか購入したい!
と言ってくださる方まで現れたのです!

これが勇気をだして一歩動いた結果です!

 

個展の詳しい様子はこちら

 

豊田市民芸の森にて個展予定

了庵での個展の際に会場まで見に来てくれた
叔父がこの自然のなかの雰囲気もいいけれど
もっとたくさんの人の目に触れるところで
展示した方がいい。
とアドバイスをくれていました。

そこで出身地でもある豊田市の豊田市民芸の森
で開催することにしました。

ここで開催できるようになるのにも
不思議なご縁をいただきました。

2020年5月から豊田市民芸の森で野外を含め
た形での展示を予定しておりましたが
コロナ禍の影響で現在延期となっています。

 

2020年10月24日(土)~12月6日(日)
開催決まりました

 

民芸の森での展示ご案内

 

どんな絵を描いてるの???

主にアクリル絵の具を使いキャンバスのみならず
無垢の木の板
和紙、照明器具、洋服などにも描いています。

無心の状態であるときに流れてくる何かを色に変換

始めに何か具体的なモチーフ
描きたい思いがあるわけではありません。

心を”無”にして(瞑想に近い状態)
流れてくる音楽や自然の呼吸と一体となり
その時受け取ったものを自由に描きます。

指や段ボールの切れ端など使い
画面をコントロールできないことを
むしろ楽しんでいます。

女性は感性で受け取ることができるので
喜んでくださる方が多いですが

「何か具体的なものがないと意味がわからない」

という論理的思考の方には???
とさせてしまうようです(笑)

 

作品例

Artist紫乃~murasakino~になるまでの経歴

自分の直感に従っていろいろなことに
挑戦してきました。

偶然出会ったと思った人も

極められなかったと感じていた仕事も

何気ない人との会話も

すべての経験がArtist紫乃~murasakino~
繋がっていたのです。

二十歳で初めて海外一人旅にバックパック一つで旅立つ

  • 往復チケットのみ握りしめ一ヶ月間ニュージーランド放浪の旅
  • 就職後は一ヶ月という時間はとれないだろうから「今しかない!」と思いきる
  • それまで学校を卒業したら就職し結婚、出産、子育するという人生しか知らなかったが世の中にはいろいろな生き方があることに衝撃を受ける
  • 旅の魅力にはまりその後ポルトガル、イギリス、ベトナム、韓国などにも行く

神戸の有名ホテルに就職

神戸で誰もが知る有名ホテルに難関を
突破し採用されました。

  • 阪神大震災の影響を受け3ヶ月の自宅待機を経てホテルに就職
  • 同僚にも恵まれ誇りをもって楽しく働く
  • お客様の要望を常に考え先読みして行動する力がつく

陶芸との出会い|ホテルを退職し愛知県立窯業高等技術専門校へ

なにげなくショーウインドーに飾られた
小さなおじぞうさまに惹かれ入った京都のお店での
店主との出会いがきっかけで転職することに
なりました。

  • 京都を散策中にある小さな陶器屋で京都に陶芸の学校があることを知る
  • 出身地近くの愛知県瀬戸市に県立窯業高等技術専門校があるとわかる
  • ホテルの仕事に限界を感じ自分にしかできない仕事を求め試験を受ける
  • 何とか試験に受かり翌年ホテルを退社し専門校にて一年間勉強する

窯元へ就職する

野焼きで焼いたおじぞうさま

学校で一年勉強したあとの就職活動中
自分で探した窯元に就職しようと考えていましたが
先生からあなたに合ってそう
と紹介された窯元に行ってみよう。という
閃きがあって
瀬戸市のとある窯元に就職したのです。

その就職先の窯元が出店するせともの祭り
おじぞうさまを売っていたことにより
次の人生が展開していきました。

  • 昼間は窯元で量産品や手作りの商品などを作りながら夜は自分の作品を作る生活
  • 食器おじぞうさまを中心に作陶
  • グループ展や商店街の空き店舗を利用したイベントで友人と店を出店
  • 年に一度のせともの祭りで自作のおじぞうさまを売っていたことで声をかけられその後の人生を大きく変えることになる人と出会う

陶芸の道を離れOLへ

陶芸の世界でも行き詰まりを感じた私は
一度普通のOLとしての経験をしてみようと
工務店に就職しました。

  • 事務職としての採用で給料計算や毎月の支払い業務の傍らCADで図面を描く
  • 今から思えばいわゆるブラック企業で恐怖政治が行われていた
  • 毎日怒鳴り声が事務所内に響いていた
  • やってみる前からわかっていたが事務に向いてないと確信する
  • 自分で家を手作りしたいという思いが膨らむ

理想の土地に出会いひとめぼれ|田舎へ一人移住し木の家を手作り

せともの祭りで出会った方のご縁
あるちいさな町で自身で考案した木の家
作っている会社の社長と知り合いました。

その方が気に入っている土地
(特に売りに出ていたわけではない)を
見に行ってひとめぼれしこんなところで
暮らせたらな~と夢が膨らみました。

  • その山の中の土地に出会ったその日ここに住みたい!と直感
  • 工務店を辞めなければ・・・と思っていると募集もしていないのに事務希望の方が面接にくる
  • 工務店を退職し田舎町へ移住
  • 社長の会社で働きながら自分の家を手作りする

そして理想の土地に出会った翌年の10月
作りかけでしたが引っ越すことができました。

家作りをやり遂げ

”本当にやりたいことは実力とかお金とか
関係なく実現できる”

ということを体感しました。

自分さえこんなことできっこない
制限をかけなければなんとかなるのです!

これはわたしにとって大きな経験でした。

人から体験談を聞いたり
本で読んだりでは味わえない
頭と体に刻みこまれるような感じでした。

日本の山を守りたい|木の家作りを仕事に

実際建てた木の家

社長が考案した木の家というのは
一棟建てるのにヒノキの柱を何千本も使う
丈夫で温かみのある本物の木の家です。

日本には資源がないといわれて久しいですが
使いきれないほどの森林資源が眠っている
のにその良い利用方法がなく林業に
携わる方も生活がなりたたず資源の
ほとんどが放置された状態です。

その状況を何とかしたいという思いで
家作りを行っていました

  • 工場での加工作業 現場での建て方 設計や顧客の対応すべてこなす
  • 自分の家作りがあまりにも楽しかったのでお客さまにも積極的に参加してもらうスタイルを提案
  • 自分のやっていることが少しでも世の中の役に立っているんだと実感
  • 39歳の時独学で二級建築士に合格

社長が脳卒中で倒れ半身麻痺に

長野県の現場で何ヶ月も泊まり込みの仕事が終わり
一息ついた頃突然社長が脳出血で倒れ
半身麻痺になりました。

  • 小さな会社で突然社長抜きで仕事を回さなくてはならなくなり私は肉体的にも精神的にもボロボロの状態
  • 社長は一命をとりとめたが体が麻痺して仕事に戻るのは困難と医者から告げらる
  • それでも独自に考えたリハビリを必死で行いわずか40日で普通に歩けるようになる
  • このノウハウをほかの人にも伝える教室を開く
  • 建築の仕事が立ち行かなくなり社長は脳卒中の麻痺を回復する事業を立ち上げる
  • 私は失業する

好きなことを仕事にしたい

全身全霊で取り組んでいた建築の仕事を失い
途方に暮れました。

社長の日本の山をなんとかしたい!

本物の木の家を届けたい!という思いに
共感し突き進んでいましたが
それを失ってみて

自分自身としては何がやりたいかわからない

という現実に直面し1年程もがきました。

  • 作家の本田健さん主催のライフワークスクールに参加し「本当の自分を表現したい」「人を癒したい」という思いが心の奥に眠っていることに気が付く
  • 一般的な建築会社ではなんとなく違和感があり就職先の候補からはずす
  • 以前から気になっていた花屋でバイト募集を見つけ働きだす
  • 花屋でバイトしながら休日は社長のリハビリ教室を手伝いそれがきっかけで 知り合いのデザイナーさん自分の描いた絵を見せることになりレストランでの展示に繋がる
  • 好きなことで生活を成り立たせることを選択し花屋とアーチスト活動を並行して行う

大好きな花屋を辞めArtistとして独立へ

生花をやっているので初心者ではないものの
アレンジメントの世界は初めての経験で
全くできないところからだんだんお客さまが
喜んでくださるものができるようになっていく過程
本当に楽しかったです。

だんだんブライダルの装花をやらせてもらえるように
なったりリースやオブジェなども作りました。

一日があっという間に終わってしまう感じで
充実した日々を過ごしていましたが

本当にこの生活を続けていていいのか
という疑問が頭をもたげだしました。

というのも花屋のバイトは1~2年をめどに
一人前になるという目標を達成させ

その後は
アーティストとしての独立を考えていたのです。

花屋の仕事は奥深くなかなか一人前には
なれませんでした。

しかも少ない給料でも安定した収入
失う恐怖も同時に抱えていました。

何年も何年も先延ばしにしとうとう4年経って
しまいました。

このまま年を重ねていけば余計に動けなくなる。

人さまの仕事に依存して生きるよりも
自分に与えられた才能を発揮して生きる人生
を選びたい。
と決心しそれから半年後に退職しました。

そうして自立の道を模索し始め
今このブログを書いています。

ここまで自分の人生を改めて振り返って
みるとなんて恵まれた人生なんだろう
気が付きました。

最後まで読んでくださった方もそう感じた
のではないでしょうか?

それなのに

自信がない

やりたいことがわからない

と、うじうじとたくさんの時間を
やり過ごしてしまいました。

なんと罰当たりな態度だったのでしょう。

自分の使命を全うする人生を!

作品の一部分

いままで経験してきたこと
自然豊かな理想的な環境での生活
応援してくれた人たち
先祖代々受け継いできたもの

それらの膨大なエネルギーが含まれた
私のアート

このアート私の生き方を含めたもので
これから出会う方に

          愛

          やさしさ

          勇気

          知恵

          やる気

          思いやり

          あたたかさ

          幸せ

          癒し

を届けたいと思っています。

みなさん多かれ少なかれ間違った自己認識
していると思います。
そういう私もそうでした

 

あなたも 私も アーティストです。

 

唯一無二のあなたの人生の表現者です。

 

もっと本当の自分を表現しましょう!
すばらしい自分を喜びましょう!
醜い自分も受け入れましょう!

怖がったり遠慮する必要はないのです。

わたしもこれからが本当のスタートです。

 

一緒に素敵な人生の絵を描いていきましょう

     あなたも

        私も

          アーティスト

ですから!

 

最後までお読みいただき感謝いたします

 

紫乃~murasakino~

 

 

 

 

 

 

 

タイトルとURLをコピーしました